道場訓を理解する

極真空手を既に学んでいる人は、勿論、道場訓を暗記しているでしょう。しかし、その意味を深く掘り下げて考えた人は以外に少ないのではないでしょうか。現在、世界の極真人口は1200万人とも言われている中で、極真空手を始めた動機は人様々でしょう。喧嘩が強くなりたい人、ダイエットが目的の人、ただ健康の為にと言う人、真剣に武道と言うものを習いたい人と目的はそれぞれ違うと思います。しかし、目的はともかくとして、極真空手を学ぶ上で、大切なことは肉体を鍛えることは当然ですが、もっとも、鍛えなくてはならない事は、精神です。健全な精神を無くして、ただ単に空手で肉体だけを鍛えるだけであれば、ただの凶器を持って歩いている人間であって、極真空手を学ぶ意味が無いのです。極真空手を学ぶ以上、先ず肉体以上に心=精神を鍛えていかなくてはならない。
近年、凶悪犯罪の横行、犯罪の低年齢化。本来、市民を守り、市民から最も信頼されなければならない立場である警察関係の不祥事など、人間としての自己の抑圧をコントロール出来ない人間達が社会不安を引き起こす事件が多発している中、今一度、貴方が極真空手を学ぶことで、何を一番に学ばなければならないのか考えて欲しいと思います。
 極真空手の創始者、故大山総裁の残していただいた、立派な道場訓があるのだから、大山総裁がどのような気持ちでこの道場訓を残されたのか、よく考えそして理解して欲しい。ただ道場訓を口に出して言うだけではなく、その意味を十分理解した上で、今一度自分を見つめ直して下さい。自分の心をコントロールするのは、自分でしかないのです。
特に、これから上を目指して稽古に励んでいる方、新たな気持ちで道場訓を見直して下さい。
そして、心身共に健全な極真精神を学びとって下さい。

押忍!!
1.我々は心身を錬磨し確固不抜の神技を極めること
精神面・技能面・肉体面など自分の全てを鍛えることで、自己の意識をしっかり持ち、物事に対して動揺しないようなまでの、人並み外れた神の技へ近づくように努力精進をしなければならない。
1.我々は武の神髄を極め機に発し感に敏なること
ここで言う武とは武道であり、武道とは人間としての全ての総合力を高める為に命がけで望まなければならない修行であり、常にその極限を目指し、心の中を奮い立たせ、自分の心と物事の動きに対してすばやく反応することが出来なければならない。
1.我々は質実剛健を持って克己の精神を涵養すること
常につつましやかな素直な気持ちと、心身共に強く逞しいく、自らの欲望や邪念を抑制できるような精神を無理がないように育てなければならない。
1.我々は礼節を重んじ長上を敬し粗暴の振舞いを慎むこと
極真の精神は常に礼儀正しく節度をある行動がとれるように心がけ、特に親や目上の人をうやまい、考えのない乱暴な態度や言動及び行動はしてはいけない。
1.我々は神仏を尊び謙譲の美徳を忘れざること
自分達が今の生活で何不自由無く生きられることは、あくまで我々のご先祖様が時代と共に築き上げてくれた最も大きな財産であり、先祖(すなわち神仏と解釈するが)を大切に思う気持ちを忘れてはいけない。
1.我々は知性と体力とを向上させ事に臨んで過たざること
物事を認識し判断する能力と体力とを常に向上させてもの事に直面したときにあやまちを犯さないこと。
1.我々は生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること
極真空手で修行し武道を学ぶ以上は強くならなくてはいけない。強さとはすなわち力であり、その力とは精神力・体力・知力など全ての人間力を総合しての力を持つべきである。人間誰しも100%パーフェクトな人間はいない。しかし、極真空手を学ぶ以上、常に100%に近づけるように努力をしていかなくていけない。そして道場生の殆どの人は、昼間は職場で働くか学校で勉強をしているでしょう。何も極真の道場にいるときだけが修行ではなく、貴方のこれからの生活・そして人生の全てに極真精神のエッセンスを溶け込ませていかなければならないし、それが生涯続けなければならない真の修行であり、極真空手でただ空手術を学んでいるだけの気持ちでは、貴方はただ武術を習いに来ているだけであり、真の極真空手の教えを学びに来ているのではないと思う。極真空手で是非、武道を学んで欲しい。例え極真という場を離れても、その極真精神は永遠に続くものでなければなりません。